おやき雑感
2012年09月02日
母がこの世を去って、あれよあれよという間に、
2か月が過ぎた。
8月31日は生きていれば母の77歳の誕生日。
母の仏壇に、ナスのおやきを焼いてお供えした。
だいすきだったよね。ナスのおやき。
ナスのおやきを作るとき、母とつながっていた
自分を感じることができて、何とも幸せな気分に
なれるのです。
まだまだ、粉の練り方や、ちぎり方が均一でなくって
大きさがまちまちのができてしまうけど・・・
でも、母ちゃんもこうやって、少しづつ少しづつ
自分の味にしていったんだろうなって思うことができます。
胸を張って、囲炉裏でおやきを焼けるようになるまで
何度も何度も作るからね。
いつか中条に見えたお客さんを笑顔でお迎えし、
おやきをふるまうことができるようになろう!!!。
父がおいしそうに食べてくれる。
母ちゃんも父ちゃんのうれしそうな顔を見て
おやき焼いていたんだね。
2か月が過ぎた。
8月31日は生きていれば母の77歳の誕生日。
母の仏壇に、ナスのおやきを焼いてお供えした。
だいすきだったよね。ナスのおやき。
ナスのおやきを作るとき、母とつながっていた
自分を感じることができて、何とも幸せな気分に
なれるのです。
まだまだ、粉の練り方や、ちぎり方が均一でなくって
大きさがまちまちのができてしまうけど・・・
でも、母ちゃんもこうやって、少しづつ少しづつ
自分の味にしていったんだろうなって思うことができます。
胸を張って、囲炉裏でおやきを焼けるようになるまで
何度も何度も作るからね。
いつか中条に見えたお客さんを笑顔でお迎えし、
おやきをふるまうことができるようになろう!!!。
父がおいしそうに食べてくれる。
母ちゃんも父ちゃんのうれしそうな顔を見て
おやき焼いていたんだね。
やっと投稿する気持ちに・・・
2012年07月18日
6月30日、早朝4時22分に母がこの世を去った。
6月1日、偶然にも、デフパぺ公演の日、母を長野日赤病院から
退院させて、自宅介護に切り替え、約1か月後のことだった。
まだ、まだ、母は自分のすぐそばにいてくれるような錯覚にとらわれ、
悲しみに包まれるというよりは、信じられなくって、まだ実感がわかない。
母は、自宅に帰ってから、すごく気持ちの面で、上向いて、
それとともに食欲も戻って、実においしそうに食事を食べてくれた。
「こんなに元気になっちまって、困った。まだ死ねそうにない」
なんて冗談を言っては笑わせてくれていた。
最後の最後まで、周囲の人を笑わせてくれて、和ませてくれた。
偉大な母。 よかった、本当にあなたの娘で。
ありがとう おかあちゃん。
6月1日、偶然にも、デフパぺ公演の日、母を長野日赤病院から
退院させて、自宅介護に切り替え、約1か月後のことだった。
まだ、まだ、母は自分のすぐそばにいてくれるような錯覚にとらわれ、
悲しみに包まれるというよりは、信じられなくって、まだ実感がわかない。
母は、自宅に帰ってから、すごく気持ちの面で、上向いて、
それとともに食欲も戻って、実においしそうに食事を食べてくれた。
「こんなに元気になっちまって、困った。まだ死ねそうにない」
なんて冗談を言っては笑わせてくれていた。
最後の最後まで、周囲の人を笑わせてくれて、和ませてくれた。
偉大な母。 よかった、本当にあなたの娘で。
ありがとう おかあちゃん。
デフパペットシアター ひとみ 塩尻公演 大成功!
2012年06月06日
6月1日の塩尻市レザンホールで行われた
「森と夜と世界の果てへの旅」公演にお越しくださった皆様
本当にありがとうございました。
なんと、中ホールほぼ満席。337人の方が、会場に足を運んでくださいました。
今回の作品は、世界観の違う、アフリカの物語。
30周年記念作品としては、かなり難解な内容で、失敗したら、
デフパぺそのものからファンが離れてしまう危険もある作品。
稽古と、手直しを重ねながら、塩尻にやってきてくれました。
手ごたえのあった舞台となったようです。
で、私はというと、母の退院の日とかぶってしまい、
泣く泣く、参加できませんでした。
昨年白馬村で見たあと、手直しされたものを見たいと思っていましたが
かないませんでした・・・。
しかし、母も自宅に帰ったことで、元気を取り戻しました。
また、見るチャンスもあるでしょう。楽しみにしておきます。
見られた皆様、作品の感想をぜひお聞かせくださいね。
「森と夜と世界の果てへの旅」公演にお越しくださった皆様
本当にありがとうございました。
なんと、中ホールほぼ満席。337人の方が、会場に足を運んでくださいました。
今回の作品は、世界観の違う、アフリカの物語。
30周年記念作品としては、かなり難解な内容で、失敗したら、
デフパぺそのものからファンが離れてしまう危険もある作品。
稽古と、手直しを重ねながら、塩尻にやってきてくれました。
手ごたえのあった舞台となったようです。
で、私はというと、母の退院の日とかぶってしまい、
泣く泣く、参加できませんでした。
昨年白馬村で見たあと、手直しされたものを見たいと思っていましたが
かないませんでした・・・。
しかし、母も自宅に帰ったことで、元気を取り戻しました。
また、見るチャンスもあるでしょう。楽しみにしておきます。
見られた皆様、作品の感想をぜひお聞かせくださいね。
手話関係の資格制度について
2012年05月07日
手話の関連の資格は、3つあります。
一つ目は、表題にある「手話奉仕員」
次は、「手話通訳者」
3つ目は「手話通訳士」
今回は手話奉仕員について解説してみたいと思います。
手話奉仕員は現在、市・町・村レベルで開かれている、
手話奉仕員養成講座を修了した者にその資格を与えることになっています。
長野県では、この資格は、あくまでもボランティアの位置づけで、
報酬を伴った通訳はできないのですが、その次の手話通訳者の資格取得のための
基礎資格となっています。
この資格は、厚生労働省の統一カリキュラムによって開催されているため、
もし、長野県で資格を取って、他の県に引っ越しをしても、どこの県でも
通用する資格となっています。
通常、年間で80時間のカリキュラムを受講することとし、
80パーセント以上の出席率によって資格を与えています。
ですから、終了時の試験などはありません。
地域によっても違うでしょうが、塩尻の講座は、レポートを
1本提出するようになっています。
少し余談ですが
長野県では、唯一、「塩尻志學館高等学校」において、
この手話奉仕員養成を授業に組み入れて実施しています。
1年間では授業時間が足りないため、高校2年生で、「入門課程」
高校3年生で、「基礎課程」を授業に組み入れています。
講師は、上記の社会福祉協議会が市から委託を受けている
手話奉仕員養成講座の講師が、高校の授業も受け持っています。
教員ではなく、外部委託ということです。
17才や18才の若い学生たちは呑み込みが早く、
授業も和気あいあいと楽しく授業が進められています。
手話通訳の有資格者の世界は、だんだん高齢化しています。
このような若い学生らを全国的にも要請できるシステムを構築し、
手話通訳者が、職業として成り立つように、身分保障をしっかりとして
設置されていくといいのですが。
一つ目は、表題にある「手話奉仕員」
次は、「手話通訳者」
3つ目は「手話通訳士」
今回は手話奉仕員について解説してみたいと思います。
手話奉仕員は現在、市・町・村レベルで開かれている、
手話奉仕員養成講座を修了した者にその資格を与えることになっています。
長野県では、この資格は、あくまでもボランティアの位置づけで、
報酬を伴った通訳はできないのですが、その次の手話通訳者の資格取得のための
基礎資格となっています。
この資格は、厚生労働省の統一カリキュラムによって開催されているため、
もし、長野県で資格を取って、他の県に引っ越しをしても、どこの県でも
通用する資格となっています。
通常、年間で80時間のカリキュラムを受講することとし、
80パーセント以上の出席率によって資格を与えています。
ですから、終了時の試験などはありません。
地域によっても違うでしょうが、塩尻の講座は、レポートを
1本提出するようになっています。
少し余談ですが
長野県では、唯一、「塩尻志學館高等学校」において、
この手話奉仕員養成を授業に組み入れて実施しています。
1年間では授業時間が足りないため、高校2年生で、「入門課程」
高校3年生で、「基礎課程」を授業に組み入れています。
講師は、上記の社会福祉協議会が市から委託を受けている
手話奉仕員養成講座の講師が、高校の授業も受け持っています。
教員ではなく、外部委託ということです。
17才や18才の若い学生たちは呑み込みが早く、
授業も和気あいあいと楽しく授業が進められています。
手話通訳の有資格者の世界は、だんだん高齢化しています。
このような若い学生らを全国的にも要請できるシステムを構築し、
手話通訳者が、職業として成り立つように、身分保障をしっかりとして
設置されていくといいのですが。
バーで私は癒された
2012年04月26日
先週は、水曜日を除いて、すべて実家のある
長野市中条から仕事に出た。火・水・木は、大学や高校の
授業日。片道80キロ近い距離を運転し通勤。(結構つらい)
授業のない週末は介護と、家事と農業生活。すっごく健康的な
週末生活。畑からの採りたて野菜を食卓に載せることができる。
で、昨日の水曜日だけは、歯科大の手話サークルの指導も
夕方にあって、終わるのが7時半。
奉仕員養成の講座も始まったのでその様子(夜の)も見たいので
父に頼んで、塩尻に滞在の日にした。
午前の志學館高校、午後2か所の大学、夕方歯科大サークルと
手話指導の仕事をした。
そしてそして、久々の癒しナイトを、
朗読士の池内さんと過ごすことに。
昼のうちに彼女に電話をかけておいたら、
気持ち良いお返事をいただけた。
介護のいろんな体験をお聞きすることができて、
ありがたかった。
普段から、お互いのブログを読みあっているので
近況報告の必要もなく、端的なアドバイスをもらうことができる。
なんだろう、池内さんの心のもちかた、人との寄り添い方、
すーーーと心に沁みこむ。
ありがたいありがたい。
これからもよろしくね。
長野市中条から仕事に出た。火・水・木は、大学や高校の
授業日。片道80キロ近い距離を運転し通勤。(結構つらい)
授業のない週末は介護と、家事と農業生活。すっごく健康的な
週末生活。畑からの採りたて野菜を食卓に載せることができる。
で、昨日の水曜日だけは、歯科大の手話サークルの指導も
夕方にあって、終わるのが7時半。
奉仕員養成の講座も始まったのでその様子(夜の)も見たいので
父に頼んで、塩尻に滞在の日にした。
午前の志學館高校、午後2か所の大学、夕方歯科大サークルと
手話指導の仕事をした。
そしてそして、久々の癒しナイトを、
朗読士の池内さんと過ごすことに。
昼のうちに彼女に電話をかけておいたら、
気持ち良いお返事をいただけた。
介護のいろんな体験をお聞きすることができて、
ありがたかった。
普段から、お互いのブログを読みあっているので
近況報告の必要もなく、端的なアドバイスをもらうことができる。
なんだろう、池内さんの心のもちかた、人との寄り添い方、
すーーーと心に沁みこむ。
ありがたいありがたい。
これからもよろしくね。
手話奉仕員養成講座
2012年04月18日
塩尻で今日から始まる手話奉仕員養成講座。
手話通訳者になるための基礎資格となる、奉仕員養成。
私がかかわっている、学校すべてにチラシを配って、
受講生募集したところ、昼は20名夜はなんと31名の申込み
があったとのこと。
うーーーん。うれしい。
私は、夜は実家支援に回ってしまうので、
アシスタントの担当からは外させてもらった。
今日も、本当は様子を見に行きたい。
でも、昨夜や、今朝の母や父の様子では
それは難しい。
頑張って、学校が終わったら、飛び返る予定。
手話通訳者になるための基礎資格となる、奉仕員養成。
私がかかわっている、学校すべてにチラシを配って、
受講生募集したところ、昼は20名夜はなんと31名の申込み
があったとのこと。
うーーーん。うれしい。
私は、夜は実家支援に回ってしまうので、
アシスタントの担当からは外させてもらった。
今日も、本当は様子を見に行きたい。
でも、昨夜や、今朝の母や父の様子では
それは難しい。
頑張って、学校が終わったら、飛び返る予定。
塩尻手話サークルの定期総会
2012年04月10日
今夜は、昼、夜の手話サークル合同の年度末
定期総会の日。
昼のサークルは、自分が立ち上げた手話サークル。
でも、今の役員さんたちが、しっかり、サークルの
基盤を作り、会を盛り上げてくださっている。
ありがたい。
夜の手話サークルは、24年前に塩尻に私が引っ越してきた
とき、お世話になった手話サークル。
どちらも、頑張って会を存続させ、盛り上げてくれている。
そんな、自分の基盤でもある手話サークルに、私的に
またひとつけじめをつけて、昼の手話サークルを休会とした。
自分に、言い聞かせるように。
いよいよ、半農半手話生活本格化。
定期総会の日。
昼のサークルは、自分が立ち上げた手話サークル。
でも、今の役員さんたちが、しっかり、サークルの
基盤を作り、会を盛り上げてくださっている。
ありがたい。
夜の手話サークルは、24年前に塩尻に私が引っ越してきた
とき、お世話になった手話サークル。
どちらも、頑張って会を存続させ、盛り上げてくれている。
そんな、自分の基盤でもある手話サークルに、私的に
またひとつけじめをつけて、昼の手話サークルを休会とした。
自分に、言い聞かせるように。
いよいよ、半農半手話生活本格化。
うれしかった、卒業生のこと
2012年04月10日
昨年専攻科で教えたS,さんという学生のこと
授業の中で、私が一番力を入れている、
「れんげ草」の取組や、聞こえないお年寄りたちのこと。
私たちも「れんげ草」で支援してきた
Hさんというろう者の老人が、要介護状態になって、
特別養護老人ホームに入所した。その施設に専攻科のSさんが就職した。
一生懸命、手話で語りかけたり、絵カードを作って
支援をしてくれたそうだ。
Hさんは、にこにこ喜んでくれたようで、晩年を
コミュニケーションをきちんととってくれる環境の中で
過ごすことができた。
このような支援がなければ、話の通じないお年寄り
として、ほおっておかれる、ろうあの老人たち。
その後、その事例について
介護の研究大会のなかで、発表を堂々とやってくれたとのこと。
他の施設にいる介護者たちにもその大切さを伝えたとのこと。
残念ながら、Hさんは1月に亡くなられたのだけれど、
私が授業で最も大切にしている、コミュニケーションを
あきらめないでほしいということを、実際現場で、実践していてくれたこと、
すごくうれしい報告だった。
学生に手話や、その背景となるろう者のこと、
種まきをするように話す。
一つ、実をつけ、収穫できた。
なんて嬉しい報告だろう。
授業の中で、私が一番力を入れている、
「れんげ草」の取組や、聞こえないお年寄りたちのこと。
私たちも「れんげ草」で支援してきた
Hさんというろう者の老人が、要介護状態になって、
特別養護老人ホームに入所した。その施設に専攻科のSさんが就職した。
一生懸命、手話で語りかけたり、絵カードを作って
支援をしてくれたそうだ。
Hさんは、にこにこ喜んでくれたようで、晩年を
コミュニケーションをきちんととってくれる環境の中で
過ごすことができた。
このような支援がなければ、話の通じないお年寄り
として、ほおっておかれる、ろうあの老人たち。
その後、その事例について
介護の研究大会のなかで、発表を堂々とやってくれたとのこと。
他の施設にいる介護者たちにもその大切さを伝えたとのこと。
残念ながら、Hさんは1月に亡くなられたのだけれど、
私が授業で最も大切にしている、コミュニケーションを
あきらめないでほしいということを、実際現場で、実践していてくれたこと、
すごくうれしい報告だった。
学生に手話や、その背景となるろう者のこと、
種まきをするように話す。
一つ、実をつけ、収穫できた。
なんて嬉しい報告だろう。
出会いの春 手話の授業始まる
2012年04月10日
今年も、全力投球での手話の授業が始まる。
私は、基本的には手話の実技の時間は声(音声言語)なしで
学生たちに向かう。
目で見て理解できるように、目で見て体、表情全部使って
全身でコミュニケーションを取ってほしいから、
そしてその世界を理解してほしいと願っているから。
今日も1時間ほど、最初から声なしで始め、実技終了後、
ようやっと、声を出したら、「えーーーー!!!」声に
ほっとするやら、声を聴いてイメージと違ったのか、学生たちの
リアクションが面白かった。
若い頭は、吸収が早くうらやましい限り。
すいすい吸収してくれる。でも、忘れるのも早いので
復習やミニテストなどで定着を目指す。
今年もであったかわいい学生たち。
半年間よろしくお願いいたします。
私は、基本的には手話の実技の時間は声(音声言語)なしで
学生たちに向かう。
目で見て理解できるように、目で見て体、表情全部使って
全身でコミュニケーションを取ってほしいから、
そしてその世界を理解してほしいと願っているから。
今日も1時間ほど、最初から声なしで始め、実技終了後、
ようやっと、声を出したら、「えーーーー!!!」声に
ほっとするやら、声を聴いてイメージと違ったのか、学生たちの
リアクションが面白かった。
若い頭は、吸収が早くうらやましい限り。
すいすい吸収してくれる。でも、忘れるのも早いので
復習やミニテストなどで定着を目指す。
今年もであったかわいい学生たち。
半年間よろしくお願いいたします。
半農半手話生活始まる
2012年04月09日
塩尻のアパートはそのままに、
週末中条で、農業と家事、それ以外は
学校で手話を教えるという、半農、半手話生活が
本格的に始まった。
今週は、ジャガイモを植えたり、田んぼの支度。
実家の支援でいえば、玄関先の漬物桶を片付けて、
玄関周りをすっきりきれいにした。
洗面所も、ぐちゃぐちゃになっていたところを
すっきり、使用度別に分けて、使いやすくレイアウト
しなおす。
そんなわけで、だいぶ実家もすっきり片付いてきた。
母も、入院してから、安心したのか、落ち着いて
いてくれる。いつでも医療措置を受けられる。
看護婦さんもすぐ呼べる。食事の心配がない。
一日一人ぼっちになることもない。
それと、娘や、夫に世話になる心配がない(たぶんこれも要因)
父は、ずいぶん体力が落ちた。
ちょっと重いものを持つだけで、息が切れる。
鍬を2,3回振っただけで、休んでいる。
「農業も、もう無理だなあ・・・」とつぶやきながら、
働く。私たち兄弟が、どこまで実家の農業を支えながら、
続けられるか、試練の一年。
週末中条で、農業と家事、それ以外は
学校で手話を教えるという、半農、半手話生活が
本格的に始まった。
今週は、ジャガイモを植えたり、田んぼの支度。
実家の支援でいえば、玄関先の漬物桶を片付けて、
玄関周りをすっきりきれいにした。
洗面所も、ぐちゃぐちゃになっていたところを
すっきり、使用度別に分けて、使いやすくレイアウト
しなおす。
そんなわけで、だいぶ実家もすっきり片付いてきた。
母も、入院してから、安心したのか、落ち着いて
いてくれる。いつでも医療措置を受けられる。
看護婦さんもすぐ呼べる。食事の心配がない。
一日一人ぼっちになることもない。
それと、娘や、夫に世話になる心配がない(たぶんこれも要因)
父は、ずいぶん体力が落ちた。
ちょっと重いものを持つだけで、息が切れる。
鍬を2,3回振っただけで、休んでいる。
「農業も、もう無理だなあ・・・」とつぶやきながら、
働く。私たち兄弟が、どこまで実家の農業を支えながら、
続けられるか、試練の一年。
一つ、仕事にけじめをつけて
2012年03月30日
子供たちが独り立ちして、
自分一人になった時、できる仕事として、
また、自分がかかわって立ち上がったケアホームにも
すごく愛着があって、今までも、忙しくって大変だったけど
なんとか、細々と続けてきたケアホームの世話人業務。
実家の支援と仕事の内容はほぼ同じ。
食事、洗濯、投薬、掃除、話し相手・・。
でも、今は私が重きを置かなければいけないのは、
実家。ここでごはんを作ってる場合じゃないって、
思ってしまう。
で、3月を最後にやめさせていただくことに。
法人では長期休暇というような扱いか。
今日、自分のものを片付けて、利用者一人ひとり
とあいさつを交わし、お別れを告げたら、涙が出ちゃった。
そんなつもりじゃないのに、こみ上げてきちゃって。
立ち上げから10年。
ありがとう。ごめんね。いつここに、仕事できるように
戻ってこられるか、先が見えないけど、
今日、自分なりに、一つけじめをつけた。
自分一人になった時、できる仕事として、
また、自分がかかわって立ち上がったケアホームにも
すごく愛着があって、今までも、忙しくって大変だったけど
なんとか、細々と続けてきたケアホームの世話人業務。
実家の支援と仕事の内容はほぼ同じ。
食事、洗濯、投薬、掃除、話し相手・・。
でも、今は私が重きを置かなければいけないのは、
実家。ここでごはんを作ってる場合じゃないって、
思ってしまう。
で、3月を最後にやめさせていただくことに。
法人では長期休暇というような扱いか。
今日、自分のものを片付けて、利用者一人ひとり
とあいさつを交わし、お別れを告げたら、涙が出ちゃった。
そんなつもりじゃないのに、こみ上げてきちゃって。
立ち上げから10年。
ありがとう。ごめんね。いつここに、仕事できるように
戻ってこられるか、先が見えないけど、
今日、自分なりに、一つけじめをつけた。
久しぶりの塩尻に帰還
2012年03月26日
先週の味噌作りでの中条行きから、
金曜日は午前中カルチャーさんの仕事を長野でやって
100キロのスピードで高速を飛ばし、塩尻での「れんげ草」にさんか。
松本大学の学生や、長野大学の学生らが、自分たちの企画を引っ提げて
れんげそうのお年寄りたちを楽しませてくれている。
この日のれんげ草の参加者は46名!!!
学生らのおかげで平均年齢も若返り。楽しげな時間が流れた。
学生同士の交流も生まれて、お互いの手話サークルのいい刺激
になっている。4月も参加したいと連絡してきてくれた。
若いみんなのエネルギーって素敵。
で、その「れんげ草」で、昼食とおやつを2時ごろに同時に食べて
3時に自宅に戻り、大慌てで、東京行きの支度をする。
4時50分の高速バスで東京に。
土曜日は委員会が朝からあるため、前泊することに。
フェイスブックで、夕食仲間を募集するも、空振り、
コンビニのおでんとビールでホテルの部屋で夕食を済ませる。
土日の会議を済ませ、埼玉の長兄のお宅に宿泊。
兄は、中条支援に回ったので、義姉と、甥の翼と3人で
六本木に繰り出し、イベント見た後、有楽町のガード下の
おいしい静岡のアンテナショップで、食事してから兄の家に。
月曜日は前々から友人の御嬢さんとの買い物の約束があり、
高校合格祝いと誕生日プレゼントかねて、一日お付き合い。
希望は、「アクセントスタイル」のショップと
嵐大好きなので、「ジャニーズショップ」。
問題はジャニーズショップ。春休みのこの日、
長蛇の待ち人たち。整理券を朝のうちにゲットし、午後1時半の整理券を
手に入れ、1時半に待ち合わせ場所に行くも、1時間待ち。
会計も長蛇の列で50分くらい待ったかなあ???
忍耐強くまち、並び、写真を選び、購入し・・・。
ふーーーー。疲れた。
新宿に戻り、小田急デパートの超おいしいフルーツパーラーで
パフェを食べて、東京買い物デートは終了。
5時の高速バスで戻り、塩尻に8時過ぎに帰還。
そのまま、資料を持ち、デフパぺの実行委員会へ飛んでいき、
会議に参加。すでにほぼ議題が終わっていて、顔を出しただけ状態。
新聞受けの詰まった新聞や郵便物を取り込み、
メールチェック中。
ふーーーー。明日の午前中に片付け、洗濯し、
午後はテレビ収録だ。その後、また中条に行かねば。
母は、どんなかなあ??
体が二つ欲しい。
金曜日は午前中カルチャーさんの仕事を長野でやって
100キロのスピードで高速を飛ばし、塩尻での「れんげ草」にさんか。
松本大学の学生や、長野大学の学生らが、自分たちの企画を引っ提げて
れんげそうのお年寄りたちを楽しませてくれている。
この日のれんげ草の参加者は46名!!!
学生らのおかげで平均年齢も若返り。楽しげな時間が流れた。
学生同士の交流も生まれて、お互いの手話サークルのいい刺激
になっている。4月も参加したいと連絡してきてくれた。
若いみんなのエネルギーって素敵。
で、その「れんげ草」で、昼食とおやつを2時ごろに同時に食べて
3時に自宅に戻り、大慌てで、東京行きの支度をする。
4時50分の高速バスで東京に。
土曜日は委員会が朝からあるため、前泊することに。
フェイスブックで、夕食仲間を募集するも、空振り、
コンビニのおでんとビールでホテルの部屋で夕食を済ませる。
土日の会議を済ませ、埼玉の長兄のお宅に宿泊。
兄は、中条支援に回ったので、義姉と、甥の翼と3人で
六本木に繰り出し、イベント見た後、有楽町のガード下の
おいしい静岡のアンテナショップで、食事してから兄の家に。
月曜日は前々から友人の御嬢さんとの買い物の約束があり、
高校合格祝いと誕生日プレゼントかねて、一日お付き合い。
希望は、「アクセントスタイル」のショップと
嵐大好きなので、「ジャニーズショップ」。
問題はジャニーズショップ。春休みのこの日、
長蛇の待ち人たち。整理券を朝のうちにゲットし、午後1時半の整理券を
手に入れ、1時半に待ち合わせ場所に行くも、1時間待ち。
会計も長蛇の列で50分くらい待ったかなあ???
忍耐強くまち、並び、写真を選び、購入し・・・。
ふーーーー。疲れた。
新宿に戻り、小田急デパートの超おいしいフルーツパーラーで
パフェを食べて、東京買い物デートは終了。
5時の高速バスで戻り、塩尻に8時過ぎに帰還。
そのまま、資料を持ち、デフパぺの実行委員会へ飛んでいき、
会議に参加。すでにほぼ議題が終わっていて、顔を出しただけ状態。
新聞受けの詰まった新聞や郵便物を取り込み、
メールチェック中。
ふーーーー。明日の午前中に片付け、洗濯し、
午後はテレビ収録だ。その後、また中条に行かねば。
母は、どんなかなあ??
体が二つ欲しい。
母の状態
2012年03月23日
どうも、母の気持ちが落ち込んだままで、
それとともに著しく、体力が落ちている。
歩けない。ベッドからトイレまで、10メートル?
がやっと。息がはあはあしちゃって、貧血起こしている。
ひろみちゃんのお誕生会のあと、中条に3日間、
娘と行く。帰ってきて、びっくり、ポスト満杯。
これから3日間は東京。
いつまでも、自宅アパートの布団でねむれないよう・・。
行ってきます。
それとともに著しく、体力が落ちている。
歩けない。ベッドからトイレまで、10メートル?
がやっと。息がはあはあしちゃって、貧血起こしている。
ひろみちゃんのお誕生会のあと、中条に3日間、
娘と行く。帰ってきて、びっくり、ポスト満杯。
これから3日間は東京。
いつまでも、自宅アパートの布団でねむれないよう・・。
行ってきます。
なんだろ、気持ちが落ち込み
2012年03月18日
なんだろ、なんだろ、気持ちが落ち込み、
何かやる気が起きない。
図書館から返本の催促がくる。
行かなきゃ、行かなきゃと思いきや、足が向かず・・・
切符取らなきゃと思うけど、めんどくさくって
電話できず・・。
お風呂入らなきゃ・・・
あーーーめんどくさ、一日くらい入らなくたって・・。
キッチンのシンクの中に汚れたお皿がたまっていく・・。
あーーー、洗う気が起きない。
なになに?
これが更年期?
ただの怠け癖?
kadoの学習が終わって、気が抜けた?
母のせいにしてる?私。
あーーー、なんにもしたくない。
買い物も、料理もせず、冷蔵庫にとうとう2週間くらい前に
買った卵の残りが5個だけ・・・。
ま、いいか。
何かやる気が起きない。
図書館から返本の催促がくる。
行かなきゃ、行かなきゃと思いきや、足が向かず・・・
切符取らなきゃと思うけど、めんどくさくって
電話できず・・。
お風呂入らなきゃ・・・
あーーーめんどくさ、一日くらい入らなくたって・・。
キッチンのシンクの中に汚れたお皿がたまっていく・・。
あーーー、洗う気が起きない。
なになに?
これが更年期?
ただの怠け癖?
kadoの学習が終わって、気が抜けた?
母のせいにしてる?私。
あーーー、なんにもしたくない。
買い物も、料理もせず、冷蔵庫にとうとう2週間くらい前に
買った卵の残りが5個だけ・・・。
ま、いいか。
母、退院。腸のほうはきれいだと。
2012年03月16日
よかった。か弱い声で、電話をくれた。
無事、明日午後自宅に帰れる。
入院生活を望んで病院に乗り込んだ母、
でも、やっぱり、痔のは、自分でするしかないことを、
悟らされ、状態がよくなったわけではないけど、
また、自宅で過ごすことができる。
週末からは味噌の仕込みが始まる。
親せきに人たちも泊まり込みで来る。
私はいけないけれど、気が紛れてくれればいいな
と願う。
無事、明日午後自宅に帰れる。
入院生活を望んで病院に乗り込んだ母、
でも、やっぱり、痔のは、自分でするしかないことを、
悟らされ、状態がよくなったわけではないけど、
また、自宅で過ごすことができる。
週末からは味噌の仕込みが始まる。
親せきに人たちも泊まり込みで来る。
私はいけないけれど、気が紛れてくれればいいな
と願う。
Posted by のっぽさん at
19:00
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娘の立ち位置
2012年03月13日
せめて、私が実家にいる間は、母に楽をしてもらいたいし
甘えてほしいと思って、洗濯に掃除、料理に片付け、プラス
畑仕事などにせいを出していた。
でも、結果的には母の仕事を全部私が取ってしまっている。
「何もすることがない」イコール、働けないから、生きている
価値がない・・・・なんて母の口からぽろっと出る。
自分の食べたいものは自分で作るわ・・と、
昨日もうどんだけは煮てくれた。
女である母は、自分の作った料理を家族に食べさせ、
みんなが喜ぶ顔が見たいのだ。
そうだよな、介護1年生の私は、おせっかいしすぎて、母の仕事を
全部取ってることに気付かなかった。
うーーん、難しい。
娘の立ち位置。
エンパワメントという、福祉分野では本人の
力を引き出す介護を・・・なんて学習してるのに、
いざ、自分の母親になると、それができない。
今日、母は、自分から病院に行きたい、できれば
入院したいといって父に連れられて日赤に。
家事は変わってやれるけど、医療的なことは
まったくやってあげられないので、母も自宅では
不安なようだ。
少し、治療を受けながら、気持ちも、
落ち着いてくれるといいけれど・・。
甘えてほしいと思って、洗濯に掃除、料理に片付け、プラス
畑仕事などにせいを出していた。
でも、結果的には母の仕事を全部私が取ってしまっている。
「何もすることがない」イコール、働けないから、生きている
価値がない・・・・なんて母の口からぽろっと出る。
自分の食べたいものは自分で作るわ・・と、
昨日もうどんだけは煮てくれた。
女である母は、自分の作った料理を家族に食べさせ、
みんなが喜ぶ顔が見たいのだ。
そうだよな、介護1年生の私は、おせっかいしすぎて、母の仕事を
全部取ってることに気付かなかった。
うーーん、難しい。
娘の立ち位置。
エンパワメントという、福祉分野では本人の
力を引き出す介護を・・・なんて学習してるのに、
いざ、自分の母親になると、それができない。
今日、母は、自分から病院に行きたい、できれば
入院したいといって父に連れられて日赤に。
家事は変わってやれるけど、医療的なことは
まったくやってあげられないので、母も自宅では
不安なようだ。
少し、治療を受けながら、気持ちも、
落ち着いてくれるといいけれど・・。
雪 雪 雪 降りやまぬおもーーーい雪
2012年03月10日
狂ったように降っている雪。
車まではなんとか雪かき。湿って重い。
今日は夜まで出かける予定がないから、
雪を眺めながら、一日新年度に向けての準備の日にしよう。
車まではなんとか雪かき。湿って重い。
今日は夜まで出かける予定がないから、
雪を眺めながら、一日新年度に向けての準備の日にしよう。
予期せぬプレゼント
2012年03月10日
塩尻に帰ったら、ポストに新聞やら郵便物やら
大量に挟まっていた。その中に、宅急便の不在配達の通知が
2通。
へ?誰だろうと思って見たら、息子の名前が。
早速宅急便のドライバーの電話番号に再配達のお願いの電話を掛けた。
夕方になって、「ピンポーーーーン」
お、きたきた、なんだ なんだ?とドアを開ける。
クロネコのお兄ちゃんが抱えていたのは、「酒」と大きく書いた
縦長の箱。 酒かい!!
クロネコのお兄ちゃん、「「プレゼント」って書いてありますよ。」
といいながら渡してくれる。
日本酒かと思って箱を空けたら、中から紙袋に包まれた
一回りちっちゃな縦長の四角い箱。
それを開けたら、円筒の縦長のケース。
ケースの後ろを見たら、スペイン産のワインだった。
ブルーのメッセージカード(牛君の顔の)
に、へたくそな字で、「遅くなりましたが、誕生日プレゼントです。
更年期なんだから、健康診断を受けた方がいいよ」との息子の字。
何を思ったのか、今まで、誕生日でも、クリスマスでも、
初給料日でも、贈り物なんて送ってくれたこと1回もなかったのに、
梓がスペインに行っているからスペイン続きで
送ってきたのか、ワイン好きの私を知っていて送ってきたのか、
慰労するつもりで送ってくれたのかわからないけど
なんだか、ほわっと、気持ちがあったかくなり。
母のことにかまけていて、子供らのこと
頭から消えていたけど、急に息子に会いたくなった。
スペインからの写真がアップされなくなった梓の
行方も心配。会いたくなった。
大量に挟まっていた。その中に、宅急便の不在配達の通知が
2通。
へ?誰だろうと思って見たら、息子の名前が。
早速宅急便のドライバーの電話番号に再配達のお願いの電話を掛けた。
夕方になって、「ピンポーーーーン」
お、きたきた、なんだ なんだ?とドアを開ける。
クロネコのお兄ちゃんが抱えていたのは、「酒」と大きく書いた
縦長の箱。 酒かい!!
クロネコのお兄ちゃん、「「プレゼント」って書いてありますよ。」
といいながら渡してくれる。
日本酒かと思って箱を空けたら、中から紙袋に包まれた
一回りちっちゃな縦長の四角い箱。
それを開けたら、円筒の縦長のケース。
ケースの後ろを見たら、スペイン産のワインだった。
ブルーのメッセージカード(牛君の顔の)
に、へたくそな字で、「遅くなりましたが、誕生日プレゼントです。
更年期なんだから、健康診断を受けた方がいいよ」との息子の字。
何を思ったのか、今まで、誕生日でも、クリスマスでも、
初給料日でも、贈り物なんて送ってくれたこと1回もなかったのに、
梓がスペインに行っているからスペイン続きで
送ってきたのか、ワイン好きの私を知っていて送ってきたのか、
慰労するつもりで送ってくれたのかわからないけど
なんだか、ほわっと、気持ちがあったかくなり。
母のことにかまけていて、子供らのこと
頭から消えていたけど、急に息子に会いたくなった。
スペインからの写真がアップされなくなった梓の
行方も心配。会いたくなった。
血の色
2012年03月09日
体の大事な部分に放射線を当てたせいか、
お尻の周りの皮膚が弱って、今までなかった、
痔の状況に陥った母。
女性は血液の色には比較的長年お付き合い
があるおかげで、強い方だと思っていたけど・・・
トイレに行くたびに、肛門付近から出血してしまい、
トイレが毎回血の色に染まってしまう。
便秘になるのもつらいし、
かといってお通じのあるたびに出血では
いくら気持ちがしっかりしている母でも、
目にするたびにへこむ。
たまりかねて、「みさーー、見てみー」
と、トイレに呼ばれた。
覗き込んで見て、うーーーー。
これじゃあ、毎回不安に襲われるわけだ。
血の色って、へこむ色。
鼻をかんでも、粘膜からの出血があるのか、
毎回鼻血。
へこむ へこむ。
今日は塩尻に戻らなければならず、
後ろ髪をひかれる思いで、帰宅した。
お尻の周りの皮膚が弱って、今までなかった、
痔の状況に陥った母。
女性は血液の色には比較的長年お付き合い
があるおかげで、強い方だと思っていたけど・・・
トイレに行くたびに、肛門付近から出血してしまい、
トイレが毎回血の色に染まってしまう。
便秘になるのもつらいし、
かといってお通じのあるたびに出血では
いくら気持ちがしっかりしている母でも、
目にするたびにへこむ。
たまりかねて、「みさーー、見てみー」
と、トイレに呼ばれた。
覗き込んで見て、うーーーー。
これじゃあ、毎回不安に襲われるわけだ。
血の色って、へこむ色。
鼻をかんでも、粘膜からの出血があるのか、
毎回鼻血。
へこむ へこむ。
今日は塩尻に戻らなければならず、
後ろ髪をひかれる思いで、帰宅した。
両親行方不明事件の結末は
2012年03月07日
実家から戻る車の運転中、義姉から携帯に電話が。
「ねえ、中条にいくら電話をかけても通じないけど?」
私、「いやいや、今しがた中条出るまでは元気だったから、風呂に入ったか、
ベッドに寝ちゃったんじゃないの?」と返事。
で、翌日、私も、中条に用事があって電話を掛けた。
コールはするけど、誰も出ない。
朝3回、昼食タイムを狙って3回 夕方3回応答なし・・・
あれーーーー????
温泉に行くなんて言ってなかったし、もしかして
母、入院????
だんだん心配になってくる。
そうだそうだ、母の携帯にかけてみよっと。
2回目にようやく母が出る。
「あーーよかった。どこにいるの?一日、電話でなかったねえ」と私。
「えーー、どこにもいかないで家にいたよ」と母。
「電話でないから心配したよ。」と私。
「電話ならなかったよ」と母。
と押し問答しているうちに、はたと思いだした。
もしかして、犯人は私???
実は、帰る間際に、父に中条のインターネットプロバイダー契約を
解除したから、モデムを外してほしいと頼まれたのでした。
5年ほど契約したけど、結局毎月3800円近くをどぶに捨てている状態。
で、父はどれがその機器かわからないため、配線を私がいじった。
配線のある机の裏はほこりだらけ、電話の子機、有線の配線、プリンターのコンセント、
モデムのコンセント、パソコン本体のコンセント、ケーブル類がごちゃごちゃして
いたので、配線を全部外して、掃除機をかけ、モデムを取出し、仕事を終了。
いい仕事したなと満足な私。
で、私は、中条から塩尻に帰ってきたのでした。
・・・・・・・・・・・・・・・。
「もしかしたら、ケーブル類を外した時に、電話のケーブルも外したかも?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
と母に伝えた。
今から、そのために80キロ離れた中条には行けず、
「お願い、近所の電気屋さんに来てもらって見てもらって」と頼む。
その後、1時間後、母から電話が。
直してもらって、電話が通じたよと。
そんな出来事の真っ最中に、義姉二人、いとこ
近所の人たち、母の同級生たち、母を心配してくれている
方々は、両親行方不明、電話が通じないとのことで、少し
騒ぎになっていたらしい。
私の携帯に母は無事か?的なメールが
入る入る。・・・・・・・。
人騒がせな娘ですみません。
やっぱり、犯人は私でした。
「ねえ、中条にいくら電話をかけても通じないけど?」
私、「いやいや、今しがた中条出るまでは元気だったから、風呂に入ったか、
ベッドに寝ちゃったんじゃないの?」と返事。
で、翌日、私も、中条に用事があって電話を掛けた。
コールはするけど、誰も出ない。
朝3回、昼食タイムを狙って3回 夕方3回応答なし・・・
あれーーーー????
温泉に行くなんて言ってなかったし、もしかして
母、入院????
だんだん心配になってくる。
そうだそうだ、母の携帯にかけてみよっと。
2回目にようやく母が出る。
「あーーよかった。どこにいるの?一日、電話でなかったねえ」と私。
「えーー、どこにもいかないで家にいたよ」と母。
「電話でないから心配したよ。」と私。
「電話ならなかったよ」と母。
と押し問答しているうちに、はたと思いだした。
もしかして、犯人は私???
実は、帰る間際に、父に中条のインターネットプロバイダー契約を
解除したから、モデムを外してほしいと頼まれたのでした。
5年ほど契約したけど、結局毎月3800円近くをどぶに捨てている状態。
で、父はどれがその機器かわからないため、配線を私がいじった。
配線のある机の裏はほこりだらけ、電話の子機、有線の配線、プリンターのコンセント、
モデムのコンセント、パソコン本体のコンセント、ケーブル類がごちゃごちゃして
いたので、配線を全部外して、掃除機をかけ、モデムを取出し、仕事を終了。
いい仕事したなと満足な私。
で、私は、中条から塩尻に帰ってきたのでした。
・・・・・・・・・・・・・・・。
「もしかしたら、ケーブル類を外した時に、電話のケーブルも外したかも?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
と母に伝えた。
今から、そのために80キロ離れた中条には行けず、
「お願い、近所の電気屋さんに来てもらって見てもらって」と頼む。
その後、1時間後、母から電話が。
直してもらって、電話が通じたよと。
そんな出来事の真っ最中に、義姉二人、いとこ
近所の人たち、母の同級生たち、母を心配してくれている
方々は、両親行方不明、電話が通じないとのことで、少し
騒ぎになっていたらしい。
私の携帯に母は無事か?的なメールが
入る入る。・・・・・・・。
人騒がせな娘ですみません。
やっぱり、犯人は私でした。